平成23年6月12日
石垣市長が「尖閣」上陸許可要請…慰霊祭で
太平洋戦争末期の1945年7月、沖縄県・石垣島から台湾に航行中の疎開船が米軍の攻撃を受け、尖閣諸島・魚釣島に漂着した「尖閣列島戦時遭難事件」から66年を迎えるのを前に、石垣市の中山義隆市長は10日、慰霊祭を行うため、魚釣島への上陸を許可するよう内閣府などに要請した。
要請書などによると、45年7月3日、住民約180人を乗せた疎開船2隻が米軍機の機銃掃射を受け、1隻が沈没、もう1隻は魚釣島に漂着した。島には野草などわずかな食料しかなく、餓死者が続出。体を動かせる者たちが板切れで小舟を造り、9人の決死隊を作って石垣島に救助を求め、約50日ぶりに約120人が生還した。
米軍統治下の69年5月、当時の市長や生還者ら約30人が魚釣島に上陸し、現地に慰霊碑を建立して犠牲者を弔った。しかし、その後、慰霊祭は行われていない。
石垣市長が慰霊のための上陸許可を政府に文書要請したのは初めて。
(2011年6月10日22時40分 読売新聞)
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東郷のコメント
中山義隆市長の決断を支持したい。自国の主権・安全保障よりも中国政府の意向を最優先で聞き媚びる民主党政権がどう反応するのか興味深いし、国民は注視しなければならない。菅直人が退陣したら、それで終わりではない。引き続き、仙石や枝野など核心的左翼が政権を担うことになると日本外交は終わりだ。
もはや中央政府には期待できない。竹島の日を制定した島根県のように地方議会は立ちあがってもらいたい。
文筆:東郷秀憲(東郷秀憲の国益コラム)