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坂本龍馬の生き方  沖田 東一

平成22年7月2日

 NHK大河ドラマ「龍馬伝」が好調だ。その影響で今年の夏は高知へ観光に行く人が多いらしい。
 もともと坂本龍馬は、歴史上の人物の中でも特に人気の高い人物である。国の大事のために行動を続け、薩長同盟や大政奉還などをの立役者となったこと、不幸にも志半ばで倒れたことが、多くの人の心をひきつけるのであろう。
 坂本龍馬の生き方を要約すると、世界を見る眼を持ち、日本が一つの国として生き残るための道に捨て身で動いた人生であった。当時は海外列強がアジアへ進出、中国はアヘン戦争で敗れ、日本が餌食になるのも時間の問題であった。そして当時の日本は未だ国という意識は薄く、各藩と幕府の連合国家であり、互いに血生臭い争いが行われている状況であった。その中で龍馬は”海外列強との戦いの前に国内で争っている状態ではない”と、犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩を和解、同盟を結ばせることに成功する。龍馬が同盟の立役者というのは誇大広告で、実際の坂本龍馬はただの営業マンという説もあるが、互いに敵対していた両藩を結びつけるには、よほど両者からの信用がなくてはならず、ただの営業マンにできるものではない。龍馬が両藩に盟約履行の保証を与えたからこそ同盟は成り立ったのであり、彼の存在が同盟成立に大きな要素であったことは間違いない。
 大政奉還においても、坂本龍馬はこの案を土佐藩要職の後藤象二郎に示し、提案を受けた後藤とともに、土佐藩を説き伏せ、幕府の大政奉還を成し遂げている。このため龍馬は倒幕派の薩摩・長州藩から睨まれることになるが、彼はそのようなことは気にしない。そこには今の「勝ち組」「負け組」のような単純な価値判断ではなく、我が身より日本の行く末を案じた高潔な姿勢がある。
 
 翻って、今の日本の情勢はどうだろうか?
 日本をめぐる政治情勢は、幕末ほどの危うさはないにせよ、民主党政権による外国人参政権や夫婦別姓が通過しそうになったり、東シナ海のガス田や台湾シーレーン問題、拉致問題など、様々な問題を抱えている。にもかかわらず、我らが政治家はアメリカには服従し、北朝鮮には恫喝され、中国には媚び諂い、国の大事よりも自己保身だけを考えている。政治家だけではない。戦後教育の影響で、日本人全体に「自分さえよければよい」という風潮が強くなり、前述の国際情勢に関しても、自分の生活に影響がなければほぼ無関心である。こんな情けない姿を、龍馬が見たら何というだろうか。
 私たちに坂本竜馬のような生き方は到底出来るものではないが、せめて、彼ならどうしたか、どんな国にしたかったかを考え、行動していこうではないか。それはとても意義のあることだと思う。

文筆:沖田東一