平成19年10月6日
平成19年10月3日より8日までの1週間、インドを訪問してきました。
今回の旅では首都デリーのレッドフォードをはじめ、インド門、ガンジス川など各地の文化に触れてきましたが、ここではカルカッタのスバス・チャンドラ・ボース記念館について書きたいと思います。
スバス・チャンドラ・ボース将軍 |
スバス・チャンドラ・ボースは、英国支配からのインド独立を目指し活動した英雄であり、インド独立の影の立役者として国民からも「ネタジ(指導者)」と呼ばれ親しまれています。 日本ではインドの独立指導者というと非暴力主義のガンジーが有名ですが、インドではボース将軍が独立の最大功労者と見られており、ガンジーよりずっと歴史的評価の高い人物です。 そのボース将軍の記念館が、インドのカルカッタに存在することを知人より聞き、急遽訪問することにしました。 |
チャンドラ・ボース記念館は、正式には『Netaji Research Bureau(ネタジ記念館)』と呼ばれており、スバス・チャンドラ・ボース将軍の邸宅を記念館に改装し、敷地内にボース将軍の遺品や写真などが展示されているとのこと。 しかし、国内のガイドブックやカルカッタ市内の観光マップには記念館に関する情報が全く載っておらず、辿りつくのに半日近くかかってしまいました。 (写真は記念館前のエルギン・ロードの通り沿いです) |
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建物全体及び正面入口です。開館時間は11時からと書かれていましたが、この時期は訪れる人も少ないのか、私が来るまで門は閉まっていました。 |
中に入ると、正面左にボース将軍の愛車が展示されています。また、右側の建物の壁には、今年8月にカルカッタを訪れた安倍前首相とボースの遺族との写真が大きく掲げられていました。 日本のマスコミは、安倍前首相の訪問は殆ど取り上げませんでしたが、海外マスコミではこのように書かれています。 「(前略)記念館で安倍首相はボースの遺族らに『英国統治からの独立運動を主導したボース氏の強い意志に、多くの日本人が深く感動している』と述べた。 (中略)ボースの姪にあたるクリシュナ・ボースさんは、『日本の人々がボースの活躍を覚えていてくれるのなら、私たちインド人も、ボースが英国の植民地支配に抵抗するためにインド国民軍を組織したしたことを支持したのが、日本だったことを思い出すべきだ』と語った」(AEP) |
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このほか、安倍総理はカルカッタで、パール判事の長男と面会し、日印文化センターの開館式に出席、国会では特別に演説の場を設けられるなど、政府間交流の少なかったインドとの友好関係の構築に多大な功績を残しています。 |
車の奥に設置されていました。 ボース将軍の碑のようですが、詳しくは分かりません。 碑に書かれていた文章です↓ |
受付で入場料(5ルピア)を支払い、館内へ入ります。2階と3階が展示スペースになっており、係の人が案内してくれます。 (ちなみに館内は撮影禁止のため、一部しか写真は取れませんでした) 2階は、寝室と書斎があり、ボース将軍やその父が使っていたベッドや靴などが展示されており、普段の生活が分かるようになっています。 また寝室に続く廊下には、ボース将軍が屋敷を脱出した時のルートに沿って足跡が書かれていました。 3階では、2つの部屋でスバス・チャンドラ・ボースに関する文献や当時の記事、資料が置かれています。チャンドラ・ボースの軍服や日本刀なども展示されていました。また、各部屋にはボース将軍を特集したDVD(英語)が上映されていました。 また、記念館の1階部分は販売ブースになっていて、ここでボース将軍に関する書籍やテープを買うことができるそうです。私も当然購入する気でいましたが、残念ながらこの日は担当者が不在のため、閉まっていました。 |
2階寝室 3階展示 |
日本ではガンジーと比べて余り取り上げられませんが、スバス・チャンドラ・ボース将軍は、日本人にとっても非常に関わりが深い人物です。もし彼が台湾で命を落とさずに戦後も独立運動を続けていれば、インドはもっと強国として独立していたでしょう。インドを訪れる機会がありましたら、ぜひともこの記念館へ足を伸ばしてください。
また、『地球の歩き方』をはじめとするガイドブックも、次年度の刊行では記念館を取り上げて、多くの日本人の目に触れるようにして欲しいものです。
名称:Netaji Research Bureau Netaji
住所:Elgin Road , Lala Rajpat Rai Sarani
電話:2475 6139
開館時間:11時〜16時30分
休館日:月曜日
文・写真:沖田東一