平成23年3月22日
今ロシアは北方領土を韓国や中国と連携して決定的に支配しようとしています。
これは決して黙視出来ることではありません。
北方領土は、昭和二十年八月十六日、アメリカのトルーマン大統領よりスターリン宛の親書でもキッパリと日本の領土であることを認めています。
当時ソ連は、大東亜戦争で日本の敗色が濃くなった昭和二十年四月五日に日ソ中立条約不延長を通告してきました。
その時、佐藤尚武駐ソ大使はソ連のモロトフ外相に、昭和二十一年四月までのソ運の態度を尋ねた時、モロトフ外相は、
「日ソ中立条約の有効期限は、昭和二十一年四月までは、国際法であきらかである。これから先のことは、日本政府の意見を承認する。」と答ながら、アメリカが広島に原爆を投下して日本の敗色が決定的となった八月八日に、ソ連は日本に宣戦布告してきました。
全く卑劣な国際的詐欺行為です。
ロシアは、相手が弱いと見れば何時約束を無視して、暴虐な事をするか解からない卑劣な国であります。ロシアの北方領土の軍事強化は断じて許してはなりません。
今、日本国民は一人丁人が、『生活重視』という、詐欺のような誤った政策に翻弄されることなく、私たちの手でわが国の主権を取り戻すよう結束する時です。
その為にも、現在の憲法といわれている々似非憲法を破棄して、主権回復の為の新憲法を制定しなければなりません。
日本は、単なる島国ではありません。
人として理想実現の神聖な使命を帯びている事を自覚せねばなりません。
その兆候が、本年一月八日に現れたではありませんか。
土光杯全日本青年弁論大会で、二十二歳の中川給責さんは、何時、どこで命を落とすか解からないことを自覚されて防衛大学校に入り「卒業して海上自衛隊幹部になる時は、危険を顧みず、責務の完遂に努め国民の負託に応えることを誓います。」と、キッパリと堂々と主張されたことは本当に嬉しいことです。
大和心の雄々しさが蘇ってきました。
皆様、今一度終戦当時の事思い出して下さい。
老い方は、文書や記録フィルム等で終戦直後の状況を垣間見られたこともあろうかと推察しますが、昭和天皇陛下は、昭和二十年九月二十七日マッカーサーに面会されて
『私のこの体はどうなっても、良いから、食糧に困っている国民の状態を速やかに救って下さい。』
と、懇願されました。
こんな国が、他の世界にありますか、外国の大統領や高官は、困難に逢えば国民や部下を見捨てて、∇人或いはその一族のみで外国や予足していた安全な所に、逃亡してその余生を盗もうとしていたではありませんか。
天皇陛下は、敵の大将の前に自ら進み出られて、国民の食糧難を救われたのみならず、世情紛糾の中を、当時、警備の当事者が「何時、どのような危害を加えられるかも知れない。」と、断っていたのを振り払われて、日本全国民の慰安に行幸されたではありませんか。小生も高知で、中折帽を片手でかかげながら、腰をかがめられて沿道の国民に声を掛けておられた、お姿を拝しました。
今当時の様子を思い出しただけでも、ただ有り難さに胸が詰まり涙がにじみ出てきます。
当時、敗戦の窮状に打ちひしがれた国民が、天皇陛下の行幸でどれだけ、癒され、励まされたか計り知れないものがあります。
これが為、原爆や雨と散り降る黄燐焼夷弾等の無差別爆撃で廃虚と化した中より立ち直る事ができたのです。
これは、日本の国が開国の前より受け継がれた理想精神(大和心)の現れと拝受しています。私たちには、この理想精神を私たちの子や孫たちに、受け継いでいかねばならない使命があります。
その為にも、我国土、この大八洲を、不当な手段で踏みにじませてはなりません。
この日本国は、私たちの命にかけても守り抜く価値があります。
不義には断固として立ち向かう決意と実行と併せて
我国の国柄にふさわしい憲法を制定しましょう。
(これは2月11日、橿原神宮で行った檄を手直ししたものである。転送歓迎)
文筆:北村昌史