平成21年1月6日
この映画は昭和40年代の高度経済成長期の日本を舞台にした作品である。
長崎県の離島の炭鉱で働いていた風見精一は、収入の少ない今の暮らしに嫌気がさし、自分の長年の夢だった酪農を始めるために、家族ともども新天地の北海道へ出発する。近所の人が北海道までの旅費を貸してくれたり、出発の時は村総出で祝って送り出されるなど、田舎では貧しいながらも助け合っている様子が描かれている。そして広島、大阪、東京へと一家は移動。大阪万博や新幹線、ビル群など、経済発展を遂げた大都会の姿を、風見一家はまざまざと見せつけられる。しかし、その反面、機械的に作業をする病院の看護婦や、他人に無関心な都会人の様子など、都会では人情や人と人との繋がりなどが失われてしまっていた。この時代は、かつての日本では普通にあったものが、経済成長と引き換えに失われつつある時代であった。まさにこの映画は、当時の日本情勢の縮図と言えるだろう。
また、旅の途中で長女を病気で失ったとき(この時も危篤状態の娘を病院に運んでも冷たく断る病院や、まるで無反応なタクシーの運転手が印象的である)、あまりの事に落胆、動揺する精一に対し、祖父の源三が大黒柱としての心構えを説く場面や、精一が同じく傷心している妻に対して不器用ながらも夫としての労わりを見せるなど、家族愛についても深く描かれている。一家は北海道に到着するものの、想像と余りに違う厳しい世界に、精一は「えらいところに来てしまった」と思わず呟く。そしてその夜、旅の疲れから祖父も帰らぬ人となる。「俺はなんという馬鹿なことをしたんだ」と自分を責める精一に、民子は「やがてここにも春が来て、一面の花が咲く。頑張っていこう」と慰める。このように家族が互いに支えあって生きていく姿は、非常に強く心に残った。
昔の日本を美化するわけではないが、今の日本は余りにもモノが満ち足り過ぎたため、こうした人同士の繋がりを否定する社会になったのではないだろうか。子供はネットに浸かり、若者は結婚意欲を持たず、夫婦は子供を欲しない。物の充足を得た代わりに、人間的な「強さ」も失ったような気がする。物語は最後、春になった北海道で、精一と民子が新しい仔牛の誕生と民子の腹の子が宿ったことを喜ぶシーンで終わるが、この二人の強さは、今の日本の若者にはないだろう。そういう意味では、今の日本人に、ぜひ見てほしい作品である。
文筆:沖田東一