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大阪護国神社へ参拝 沖田 東一

平成22年8月16日

 昨日は8月15日、実家の墓参りの帰りに大阪護国神社へ参拝し、過去の戦争を闘われた英霊の方々へ祈りを捧げた。

(大阪護国神社。地面に置かれているのは、夜の祭り用の提灯)
 
 戦争の英霊を祀る施設としては靖国神社が有名だが、全国52か所にある護国神社でも英霊が同様に祀られており、法的にはともかく、個人的にはどちらも同じ存在だと認識している。
 同日の靖国神社には多くの参拝者が訪れていたようだが、大阪護国神社は訪れる人影もまばらで、高齢者の姿が目立った。ゆっくり参拝できるのは有り難いが、英霊と関係の深いこの日においてさえ参拝者の数が少ないというのは、いささか残念な思いである。護国神社は戦没者遺族会や戦友会の支援で成り立っているが、高齢化とともに構成人数も減少している。こうも世間から関心が薄くて、今後神社として存続できるのか、心配である。

 参拝の後は、神社裏の会館にて行われた記念講演会に出席した。
 講師の森永尭先生が「危機一髪!イラン在留邦人を脱出させたトルコ航空」との演題で、イラン・イラク戦争勃発の際に、テヘランに取り残された在イラン日本人を、トルコ政府が民間機を派遣して救出してくれたときの話をされた。救出の飛行機がテヘラン空港に着いたとき、森永先生はパイロットに「どうして私達を助けてくれたのか」と尋ねたのだが、パイロットは「百年前の(エルトゥール号事件※の)お礼をしただけです」と答えてくれた。また、同じ質問をトルコ航空総裁に尋ねたところ「(取り残された日本人の)安全の保証が無かったからだ」と話したという。実はこの時、まだイランにトルコ人も残っていた。トルコ政府は自国民よりも優先して日本人を救出に来てくれたのだ(トルコ国民は車で陸伝いに脱出した)。この話を聞き、政府の決断と救出に来てくれた人の言葉に、思わず胸が熱くなった。
 また、この話には後日談があり、帰国後、森永先生が日本政府に救出に来なかった理由を聞くと「(乗務員の)安全の保証が無かったからだ」と回答を受けた。同じ「安全の保証が無かったから」という理由で、ここまで対応が変わるのかと思ったそうだが、私も同感である。日本政府は野党に攻撃材料を作られるのが怖くて自国民の救出を止めた。国民の命より己の政治生命を重視した。危険を顧みず救出に来てくれたトルコと比べ、何と情けないことだろうか。
 自己保身に固まった日本政府の体質は、民主党政権になっても変わっていない。参院選や総裁選でコロコロ変わる首相の発言を見ても明らかだ。大局を見て正道を進める政治家が政権にいないのが悲しい限りである。
 16時頃に講演が終わり、閉会。講演者の著書が場内で販売されていたので1冊購入したが、読みやすく面白い内容であった。ぜひ一読されたし。

※エルトゥール号事件……1890年にトルコ皇帝が日本へ派遣したエルトゥール号が日本近海で難破した事件。この事故で乗員570名のうち510名が死亡したが、日本に漂着した69名は地元民の手厚い看護で生存、日本政府が軍艦2隻を用いてトルコまで送り届けた。


文:沖田東一