平成20年12月1日
11月29日(土)、大阪の難波市民学習センターにて上映された台湾映画『逍遥日記』を国益研究会のメンバーで観賞した。逍遥とは散歩の意味、つまり『逍遥日記』とは、台湾をめぐり歩いた記録映画、という意味である。
この映画には、五人の台湾人が登場する。皆80歳を超える高齢、戦前に日本の統治下で日本語教育を受けてきた、いわゆる日本語世代と呼ばれる人達である。彼らに対するインタビューが、この映画の主体になっている。
日本人が経営するコーヒー農場で働きながら日本語を学んだという楊足妹さん。
戦後30年たって帰還した元日本兵の原住民について語ったタリグ・プジャズヤンさん。
「もし男なら特攻隊で天皇陛下万歳で死にました」と話す陳清香さん。
228記念館で自身の生い立ちを語った蕭錦文さん。
少年時代の恩師の墓参りのために毎年日本を訪れる宋定國さん。
彼らは出身も経歴も異なっていたが、彼らの話に共通することは、日本人として育ったことの誇り、そして戦後中国国民党に支配された苦しみ、日本から捨てられた悲しみが感じられたことだ。
陳清香さんは日本統治時代に通っていた女学院で2番の成績で卒業したことを、今でも誇りに思っている。台湾人ということで表彰は無かったが、台湾人だからといって不当な評価をされることもなかったという(西洋の植民地では考えられないことである)。同窓の集まりでは日本語で校歌を歌い、同じ日本語世代の夫との会話は今も日本語である。
宋定國さんは、貧しさから学業を断念しかけた際、日本人教師の小松原先生が黙って5円札(当時の価値は5〜10万円くらい)を渡してくれたことを今でも恩義に感じている。恩師が入院した時は毎日付添い、亡くなった後も毎年墓参りに行くために日本を訪れている。
蕭錦文さんは、戦争中志願兵として日本軍に入隊した。日本のために戦ったが、敗戦で日本は台湾を放棄し、台湾には荒谷中国国民党が乗り込んだ。国民党政府によって蕭さんの叔父の会社は潰され、その後の白色テロで弟が殺された。今でも、蒋介石の顔を見ると腸が煮え繰り返る思いだそうだ。
日本の台湾統治が全てバラ色だったわけではない。初期は武力衝突もあったし、台湾人への差別もあった。しかし西洋諸国の植民地支配と違い、日本は台湾を日本として扱い、国家予算を使って本土以上のインフラ投資を行った。学校や病院を作り、灌漑設備を整えて広大な農地を作り上げ、台湾を経済的に発展させていった。だから彼ら老人達の話から出てくるのは、戦前の日本は非常に素晴らしい国だった、という言葉だけである。
逆に戦後日本政府の対応については失望の声も出ていた。蕭錦文さんは、日本政府は日本のために戦った台湾人へ、なぜ労いの言葉一つかけられないのかと憤っていた。事実、敗戦後日本は台湾を放棄し、今も正式に国交を結んでいない。また台湾の元軍属に対する補償もほとんど行っていない。いわば台湾を見捨てたに等しい状況である。国益の点で考えても、反日の韓国や中国に金をやるより、彼ら台湾人の補償に回した方が有益だと思うが、中国の圧力を恐れ何も出来ないというのが、余りにも情けない話である。
近年のアジアブームで台湾を訪れる日本人は増えたが、こうした台湾の歴史を、知っている人は少ない。中国の圧力と日本左翼の長年の偏向教育のせいである。
そういった状況の中、こうした記録映画が作られたことは、非常に意味がある。一般販売の予定はまだ分からないそうだが、出れば必ず買うつもりだ。台湾を旅行しようと考えている人は、ぜひとも見てもらいたい映画である。
文筆:沖田東一