平成20年11月30日
日本統治時代を知る5人の老人――コーヒー農園で子守をしながら日本語を覚え、今も茶摘み仕事をしている楊さん、台湾原住民権利を確立を目指し議員を務めているタリグさん、二二八記念館でボランティア解説員を務めている蕭錦文さん、当時女学生で「二十歳まで日本人だった」という陳清香さん、戦闘機「雷電」の整備士だった宋定國さん――の現在と彼らへのインタビューで構成された作品です。
蕭錦文さんは弟を白色テロで銃殺されたことが悔しくて、二二八記念館の案内でも蒋介石紹介の部分は案内しないそうです。また戦後何もしてくれなかった日本政府にも憤りを感じていて、こうした過去の歴史を伝えることが、今の自分の役割だと話していました。
宋定國さんは、小学生の頃の恩師である小松原先生の思い出を語り、陳清香さんは、今でも私が男なら特攻隊として飛んでいきますよと、思わず胸が熱くなる一言を語ってくれました。
そのほか、タリグさん、楊さんも当時の思いを色々と語ってくれましたが、共通しているのは、彼らを含む当時の台湾人が、いかに日本の事が好きだったかということです。また、彼らが今の日本の若い人より日本精神たっぷりの日本人だということを知りました。日本の古きよき時代は台湾に詰まっています。
しかし今の日本は、彼らが日本人として戦ったのに恩給も出していないどころか台湾を無視し中国よりの態度ばかり、中国に遠慮して日本国として台湾に接する事が出来ないのはあまりにも情けないばかりです。
映画を観終わった後、監督の酒井充子氏が挨拶されました。
酒井監督がこの映画を作ったきっかけは、数年前の台湾での日本語世代、いわゆる戦前生まれの台湾老人との出会いからだそうです。その老人は酒井監督に、自分が小学生だった頃の恩師の先生を知っているか、と問いかけてきたそうです。勿論酒井監督が知る訳もなし、バスを待っている間の出来事だったので、詳しい話も聞かずにバスに乗ったのですが(後々もっとよく話を聞いていればと後悔したそうです)、台湾の人が何十年も前の日本人の恩師を今も思い続けていることに興味を抱き、この国の人について、台湾についてもっと知ろう、勉強しようと思い、この映画を撮ったそうです。
酒井監督はこの映画を通して、台湾のことを知って頂きたいと話していました。
きっと戦後教育に染まった人も、この映画を見るとその呪縛からとき放たれるに違いありません。色々な人に観て貰いたい映画です。
文筆:大連健