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李登輝前総統の来日レポート 沖田 東一

平成19年5月30日

日時:平成19年5月30日(水)
場所:成田空港(東京)

 

 平成19年5月30日、李登輝前総統が前回から6年ぶりに来日を果たされた。今回の訪問は、李登輝氏が学生の頃に学んだ『奥の細道』を懐かしみ、その探訪を目的としているという。
 前回の来日では、日本政府は中国の圧力を恐れ、李登輝氏のビザ申請の事実を隠蔽してまでも訪日を何とか断念させようと大騒ぎする醜態を見せていたが、今回はさしたる障害も出ず、比較的スムーズに訪日が達成された。これは李登輝氏が総統を退いてから数年経過して、既に政治的影響力が弱まっているということと、台湾からの観光ビザ免除のためである。(台湾政府要人は免除対象から外れているが、現役を退いている李登輝氏は私人として適用された。ちなみに前回の騒ぎの中で李登輝氏のビザ発給のゴーサインを出したのは森元首相である。色々と叩かれていた森氏であるが、私は彼を高く評価する。)


5月30日 熊本日日新聞


 さて、今回の李登輝氏の訪日に対し、李登輝友の会等の支持団体が空港での歓迎を企画していることを聞き、台湾大好き派の私も出迎えに参加すべく、大阪より夜行バスにて東京へ向かった。

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 30日、午前11時頃に空港ロビーに到着すると、既に幾人かの参加者が集まっており、歓迎の用意をはじめていた。


 上写真の右では主催者の方が、歓迎用の手旗やプラカードを配っていたので、私も李登輝友の会の旗と台湾独立旗、プラカードを戴いて歓迎に備える。


台湾正名運動の鉢巻、プラカードをつけて準備。

 当日配られた手旗。左上から、日本国旗、台湾団結連盟、台湾独立旗、日本李登輝友の会の旗 ※国旗は自前で用意しました。

 手製のプラカードを用意してきた方も幾人か見られた。

プラカードの裏面には可愛い李登輝前総統のイラスト
がありました。

「一生、いや死んでも李登輝先生一筋!」との熱いコメント


 正午過ぎ。ゲート周辺は、1階から2階まで、李登輝氏を歓迎するために集まった大勢の日本人と台湾人で埋め尽くされていた。皆、手に手に日章旗を持ち、李登輝氏の来られる瞬間を待ち構えている。(実は緑の台湾旗も配布されていたのだが、直前に急遽中止となった。理由は定かではないが、今回の来日を(台湾内での)政治問題としたくなかったためと思われる)
 前回の訪日が年末の夜だったことと比べると、今回は平日昼間のため、参加者は余り来ないだろうと思っていたのだが、予想以上に多くの参加者が歓迎に集まったことに正直驚いた。
(クリックで拡大)

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5月30日 AFP
 そして午後1時過ぎ、いよいよ李登輝氏がロビーに姿を表された。
 その瞬間、日章旗、李登輝友の会の旗、プラカードがいっせいに振られ、周囲は歓迎の大歓声に包まれた。もちろん私も両手に旗を振り、訪日を熱烈に歓迎。(おかげで肝心の写真は手ブレばかりになってしまった…)
 「台湾独立万歳!」
 「李登輝先生万歳!!」

 合唱があちこちから響き渡る中を、李登輝氏は手を振りながら、ゆっくり歩かれていった。先月にやって来た中国の某首相と違い、こうした熱烈な歓迎ぶりが自然と起こるところに、李登輝氏の人気の高さが実感できる。
(後で聞いた話では、李登輝氏は歓迎に来てくれた方のために、わざとゆっくり歩いていたとのこと。こうした心遣いが自然と出てくるのが素晴らしい)


 この後、李登輝氏は専用車に乗って空港を出発した。お台場を視察後、午後4時にホテルオークラに車が到着する予定になっているので、我々も慌ててホテルへと移動、ここでも歓迎を行なった。当日が雨だったことと、ホテルでの歓迎企画が当日の急遽決定であった為都合のつかない人が多く、ホテルでの歓迎は20人程度となったが、我々の熱意は李登輝前総統に十分に伝わったと思っている。

 李登輝前総統は、この旅の途中で靖国神社参拝の意向を示しているという(※)。李登輝前総統の兄の李登欽氏は、岩里武則の日本名で靖国神社に英霊として祀られている。
「東京に来て、60年以上も会っていない兄に会いに行かないのは、人情としても、弟としても、忍びないことです(インタビューでのコメント)」
 年齢的にも、今回の訪日が最後の機会かもしれない。是非とも兄とのご対面を実現させて頂きたい。


※6月7日、李登輝先生は靖国神社に昇殿参拝されました。心よりお慶びいたします。
  
参考文献:メルマガ『台湾の声』

文・写真:沖田東一