平成15 年10月25日
第1部 「戦争と現在と歴史編」は、アメリカで起きたテロと、現代の戦争の形を考えることができました。「テロに走らざるを得ない、近代兵器なき貧しい民族にも、守りぬきたい文明とアイデンテイテイーがあるのではないか?」というよしりんの問いかけは、今、イラクでアメリカ兵にじわじわと抵抗している、イラクの民の声なき声を代弁しているように思えます。
そして、第3章では、前作の「戦争論」の反響を取り上げていましたが、学校の授業で「日本は戦争で言語に絶する残虐な行為をした」というような内容の歴史を習った子供たちや孫がいて、ひどく責められた経験があるという方からの手紙が紹介されていましたが、私も学校の授業が真実と思っていたので、その子供たちとまったく同じ感覚でした。面と向かって、「おじいちゃんは、中国人にひどい事をしてきたんだね。」とは言いませんでしたが、心の中で祖父を軽蔑していました。今、考えてみれば、誰がいつ撮ったのかもわからない写真を見せられただけで、日本兵の残虐行為の証拠写真だと思い込んでいたなんて、本当にばからしいです。
もちろん、今は心から祖父を尊敬しています。
西宮市のRさんの、「私の同士で福島生まれの男は、敗戦後も日本に帰らずインドネシア人と共に、インドネシア独立のために戦い戦死しました。」という話にとても感動しました。
第5章では、東京裁判のことが取り上げられていましたが、唯一国際法学者のパール判事が「全員無罪」と判断したにもかかわらず1068人が死刑となり、裁判の違法性が現在では外国でも認められているのに、当の日本人だけが、いまだに東京裁判の判決に縛られていることが、とても悔しいです。
裁判で死刑になった方の遺書が紹介してありましたが、言葉にならない深い悲しみと、その強い意志に感動しました。笹間高雄憲兵曹長の遺書は、心にずっしりと響きました。「誰を恨むこともない。敗戦という国家の重大事に際しての礎石なのだ。」という言葉が特に感動しました。
靖国神社の存在は、日本人にとって「歴史」というものを深く感じることのできる場所のような気がします。イタリア人の日本文化研究家のロマノ教授の話も外国の方なのに、こんなに日本の精神文化を理解しているのはすごいな、と思いました。
「国のために命を捧げた人たちのみたまを、ひとつの神社に合祀し、国の守り神として国民全体で守る、という発想は日本文化のすばらしい成果です。この気持ちこそ、宗教観の根底にあり、人類共通の感じでもある。戦争の目的がなんであれ、多くの国民が、良心的に命を捧げた事実は動かせない。英霊の犠牲は、国民全体の神聖なる遺産となり、国民の道徳観も養成されるのである。」
静かにこの言葉を心にとどめておきたいと思います。
文筆:森山美紀