「昭和の日」Q&A




なぜ今ごろ「昭和の日」の案が出てきたのか


 この問題は、昭和天皇が崩御された直後から国民の間で提言されていたもの。四月二十九日をどのような祝日として残すかを議論した官房長官の私的諮問機関「皇位継承に伴う国民の祝日に関する法律改正に関する懇談会」においても、名称案をして「昭和の日」が挙がっている。
 国会においては、「みどりの日」制定を審議した平成元年二月の参議院内閣委員会で、柳澤錬造議員が質問をして以来、六年八月に西村眞悟衆議院議員、八年一月に村上正邦参議院議員、十年三月に板垣正参議院議員が、其々「昭和の日」に関する質問をしている。
 また、民間においても、平成五年より「昭和の日」を求める国民団体が草の根的に運動を展開している。
以上の様な動きを受けて、平成十年に「昭和の日」推進議員連盟が設立され、今回の法案が提出されたものであり、断じて唐突に出てきた問題ではない。

「昭和の日」制定の目的は何か


 国民の間には、戦争や復興など様々な出来事があった「昭和」への思いが強く存在している。この様な苦難や繁栄を経験した「昭和」への思いは、我が国の将来を考える上で重要なものであり、祝日として後世へ永く残さなければならない。よって、「昭和の日」を祝日として制定することを強く願うものである。

なぜ四月二十九日を「昭和の日」にするのか(国民がこぞって記念する祝日となるのか)


 「昭和」に対する国民の思いを記念するに相応しい日付は、「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する」との祝日法の趣旨からいって特定の歴史観や価値観に則ったものではいけない。例えば、先の大戦が開始された十二月八日や、東京オリンピックが開会された十月十日を「昭和の日」とすると、特定事件の記念日となってしまい、「昭和」に対する国民の思いを限定してしまう。
 「昭和の日」とする日付は、昭和の時代に天長節・天皇誕生日として国民に親しまれてきた四月二十九日が相応しい。なぜなら、昭和天皇のお誕生日である四月二十九日ならば、特定の事件や価値観に則っておらず、国民が其々の立場で自由に「昭和」を記念することができるからである。また、日本国憲法に天皇が国民統合の象徴と示されている趣旨から考えても、国民が「こぞって」記念する祝日に相応しいといえる。

「みどりの日」は国民の間に定着しているのではないか


 「みどりの日」に対して反対しているわけではない。「昭和」を記念する日としては四月二十九日が相応しく、自然愛護を記念する祝日が国民の間に定着しているのならば、五月四日を「みどりの日」とすればよいのではないか。
 また、かつて「みどりの日」が定着しているので「昭和の日」改名は不要との政府の考えが存在していたが、平成十年の板垣正参議院議員の質問に対し橋本首相(当時)は、議員連盟も設立されており国会で決めるなら反対しないとの答弁をしており、政府の定着論は変更されている。
 尚、四月二十九日を「昭和の日」にとの言論は、「みどりの日」制定以来各界でなされており、このことからも「みどりの日」が定着しているとは思えない。

「昭和の日」制定の国民世論は大きいのか


 世論は、「昭和の日」を願う請願署名百七十万に表れている。これは組織的に集められたものではなく、個人が其々署名したものであり決して少ない数ではない。
 また、昭和天皇崩御の後、ぜひ四月二十九日を祝日として残してほしいという国民の声に押され、四月二十九日が祝日として残ったのであり、その思いの延長線上に「昭和の日」制定の世論が示されている。

「昭和の日」必要無しとの声があり、国民の総意とは受け取れないが


 国民一人一人に考えがあっていいのは当然。この度の法案は「ぜひ四月二十九日は昭和の日として欲しい」という国民有志の請願からはじまったもので、それに答えるのが議員の勤めである。「昭和の日」推進議員連盟は、超党派の衆参あわせて三百三十四名が加盟しており、これも国民世論を広く反映しているものといえる。
 また、「昭和の日」反対の国民運動や議員連盟などは起っておらず、国民の大多数は「昭和の日」を望んでいるといえる。

「明治の日」「大正の日」はどうするのか

 本案はすべての元号を祝日とすることを目的にしているものではない。我々「昭和」の民は、日本史上特筆すべき時代であった「昭和」を忘れないために、また後世に伝えていくために祝日として残そうというもの。
 「明治の日」についていえば、現在の十一月三日「文化の日」は明治天皇のお誕生日であり、戦前は「明治節」として制定されていた。これも政府が提唱したのではなく時の国民有志のたゆみない運動により昭和二年に制定されたもの。大正時代を超えて昭和に入って制定されたものではあるが、当時の国民にとって「大正・昭和」を差別するといった考えは毛頭なく、ただ近代国家の仲間入りをし、日本が世界へと出て行くまでになった大変革の明治時代を残した、それだけであると考える。そういう明治時代に比べれば、大正時代は幸いにも平和で安泰な時代であった。

祝日の意義というが、ではなぜ「みどりの日」は五月四日なのか


 「みどりの日」としてすでに十二年が経っている。四月二十九日が「みどりの日」でなければならない理由はないが、環境問題から考えて自然に思いを致す日も必要と思う。
 現在、五月四日は、「国民の休日」という単なる休日であり、ちょうど新緑の季節であるから、この日に移すことが一番妥当であると考える。

「昭和」には明暗両極があり、一口に祝日とするのは無理があるのでは


 明暗両極があるのは事実だが、暗い時代がずっと続いていたわけではない。六十四年という歴史の一時期に暗い時代があったが、苦難から復興へ、未曾有の敗戦から奇跡の発展へと昭和の先人たちはその時代を見事に乗り越え、現代の礎を築いてくれている。
 それが後世への励ましとなり、教訓となった。昭和は日本民族の生命力を実証した時代であると考える。

他の祝日とのバランスで「みどりの日」のままでいいのではないか


 確かに、他の祝日にも本来の趣旨と名称が関連していないものも存在する。十一月三日や十一月二十三日などは、占領軍の政策により改名されたものである。
 本案は、四月二十九日を「昭和の日」とするものであるので、他の祝日の是非は問わない。しかし、祝日として残そうという意思とまったく意を異にする名称をつけることは問題であり、世界を見てもその様な国は見当たらない。よって、この意味で他の祝日とのバランスを考えることはするべきでない。

「昭和」というのは戦争の問題を避けて通れない。近隣諸国の反応が気になるが


 祝日に関しては、内政の問題であり、日本国民の意思を尊重するのがまず第一義であると考える。近隣諸国があれこれいう問題ではない。
 また、法案の案文にうたっているように、戦争を讃美するものでも、一定の考えを強制するものでもなく、国民一人一人がそれぞれの立場で「昭和」という時代を振り返り、未来への指針を学び取っていただければよい。

「昭和の日」は昭和天皇を称えるものではないか


 本案の趣旨は、文案に示されている通りのものである。国民の間に昭和天皇をお慕い申し上げたいとの気持ちが多く存在することは事実であるが、この日に昭和天皇を称えるか否かは、国民が一人一人決めることであり、其々の立場で「昭和の日」を祝っていただきたい。

以上。


さらに詳しくは・・・

高森明勅(國學院大學講師)講演録 「『昭和の日』への思い」(於 「昭和の日」を願う母親の集い)